戦国時代は梅干しが重宝された!?戦国時代と梅干しの関係性

梅は昔から日本に馴染み深い花として知られています。花だけでなく、梅の果実も古くから日本人に愛されています。平安時代には梅干しが食べられており、縁起物として食べられていました。戦国時代の武士は梅干丸(うめぼしがん)と呼ばれる携帯用の梅干しを食べていたそうです。今回は戦国時代に重宝された梅干丸とその用途を見ていきます。

梅干しは古来より日本人に馴染み深い食べ物でした。その中でも戦国時代は梅干しが特に重宝された時代でした。戦国の世では、武士たちが戦に挑むことも多く、戦場では簡単に食べられるもので栄養素が高いものが好まれます。
梅干しは武士たちでも気軽に持ち運ぶことができます。また栄養素が高く、食べるのも簡単なため、常に食料袋に携帯していたようです。各地の戦国武将は梅の栽培を奨励し、全国各地で梅干しが作られることになりました。
ただ、当時は製造や貯蔵に苦労する時代でもあったため、収穫、塩漬け、天日干しなどはコツが必要だったようです。処理を間違えると青酸中毒を引き起こすこともあるため、梅干しを漬け損じるとその家は不幸になるとも言われていたそうです。

これほど梅干しが好まれていたのは、携帯しやすい食料品という側面に加えて、食品の保存剤や、血止め、食中毒や伝染病予防の目的もあったようです。また、戦場で倒れた際や元気を失った際に唾液を促進させるための薬としての役割もありました。
当時は梅干しを「梅干丸」と呼ばれる形で持ち運びしていました。これは梅干しに米粉と砂糖の粉末を混ぜて練って作られます。こうすることで携帯しやすく、また食べやすいものになりました。

また、戦国の世の梅干しの特徴が描かれたものとして、江戸時代に出された「雑兵物語」という物語があります。この「雑兵物語」には水分不足の際は口にするとのどの渇きにつながるので、むやみに消費せずに梅干しを何度も眺めて唾を出すだけにしろ、と書かれています。戦の場では、梅干しは貴重な食料なだけでなく、大事な戦略物資と考えられていたことが見て取れますね。
当時、貴重とされていたものは他に塩もありますが、梅干しは塩と同じかそれ以上に利用価値が高く、戦国時代には欠かせない食料だったのです。

戦国時代の有名な武将も梅干しを愛していました。小田原城を拠点にした北条氏を築きあげた北条早雲は毎食梅干しを食べていたとされていますし、お酒好きであった上杉謙信は梅干しを肴にお酒を飲んでいたとされています。

このように戦国時代は梅干しと縁深い時代でした。皆さんも梅干しを食べるときには当時のことを思い馳せてみるのも良いかもしれないですね。