意外と知らない!?梅干しの歴史とは?

3月に入り、暖かい日も増えてきました。ただ、朝晩はまだ冷え込む日もあり、寒暖差で体調を崩しやすい時期でもあります。体に良いものを食べて健康に過ごしていきたいですね。


体に良い食べ物と言えば、「一日一粒で医者いらず」と言われており、古くは薬用としても食べられていたのが梅干しです。今では当たり前となっている梅干しですが、庶民が食べられない時代もありました。そこで今回は、意外と知られていない梅干しの歴史をまとめてみます。
 
梅は中国が原産で、古代中国では、熱を下げる、あるいは腹痛を和らげるために黒焼きした梅干しが薬として使われていたそうです。
日本には飛鳥時代に漢方薬として伝来しました。この時の梅は「烏梅(うばい)」と呼ばれています。青梅を燻製して乾燥させたものでカラスのように真っ黒だったことから名づけられました。
奈良時代に入ると貴族の間では梅の鑑賞が一般的になります。梅を詠んだ和歌も多数作られました。
平安時代になると梅干しが漢方として広まりました。日本でも最古の医学書である「医心方」には梅干しの効能が書かれています。また、平安時代に存命した村上天皇は梅干しと昆布茶で病を治したと伝えられています。この時の梅干しが申年(さるどし)のものだったことから、梅干しは「病が去る」と言われるようになりました。
その後鎌倉時代に入ると、梅干しは縁起が良い食べ物として扱われるようになりました。武家社会の時代に、兵士の出陣や凱旋の時には梅干しが用いられたそうです。
戦国時代に入ると軽くてかさばることもなく、日持ちの良い梅干しは兵糧食として重宝されます。武士が戦場で戦っても疲れが残らず、また気軽に栄養分を補給できる梅干しは戦場に持ち込む食料として最適でした。
今のように庶民の間にも梅干しが広まったのは江戸時代に入ってからです。一般家庭にも登場するようになり、紀州・南部周辺の梅が江戸の街に出荷される量が増えていったのもこの時代です。
江戸末期や明治時代にコレラが流行した際にも梅干しが活躍しました。梅干しにある強い殺菌力で治療に役立てていたのです。
このように古くは薬として活躍し、そこから縁起物として食べられ、さらに庶民に広まっていき、今のように梅干しを食べる習慣ができてきました。
令和という元号は万葉集の和歌の序文から生まれていますが、梅に関する話題を扱ったものです。時代を経ても梅干しは多くの人に愛される食品として引き継がれています。
 
歴史的に見ても梅干しは健康に良い食べ物として親しまれています。皆さんも酸っぱい梅干しを食べて、健康に過ごしていきましょう。