学問の神様・菅原道真と梅に関するエピソード

学問の神様として知られている菅原道真。菅原道真公の京都の邸宅の庭には梅の花が咲き誇っており、道真は常に梅を眺めて生活していました。


そのため、道真公と梅との関係性は深く、梅に関連する話題も数多くあります。そこで今回は菅原道真の梅に関するエピソードについてまとめてみました。
 
菅原道真の梅に関するエピソードで最も有名なのが飛梅伝説です。昌泰4年(901年)、道真は藤原氏の陰謀により大宰府に左遷されることになりました。京都の邸宅を離れる日に、幼いころから親しんできた紅梅殿の梅に以下のような和歌を詠んでいます。
 
東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
 
主人であった道真を慕った梅の花は道真が大宰府に着くとすぐに飛んでやってきたとされています。一夜にして大宰府まで飛んでいき、その花を咲かせたため、飛梅伝説と呼ばれています。
現在も大宰府天満宮では2月頃に数多くの梅の花が咲き乱れ、参拝に来る方を楽しませています。訪れる際には一途な梅の思いも思い出して鑑賞すると良いですね。
 
また、道真公は梅に関する和歌を数多く詠んでいることでも有名です。歌人としても優れていた道真が初めて読んだ梅の和歌は5歳の頃に詠んだ以下の和歌とされています。
 
梅の花 紅の花にも 似たるかな 阿呼(あこ)がほほにも つけたくぞある
 
当時の道真は阿呼と呼ばれていました。庭に咲く美しい梅の花を自分の顔にもつけたいと表現したのです。まだ幼い道真でしたが、それでも梅の花の美しさを感じていることがわかります。まだ5歳の子どもでありながら和歌の才能を持っていたことが読み取れ、当時から勉学に優れていたことも感じ取れますね。
 
このように梅をこよなく愛していた道真ですが、亡くなった後も梅との縁が深いことがわかります。道真公がなくなった後、その学問の才能や和歌の優秀さなどから多くの人に尊敬された道真は天神様として崇められるようになりました。全国には現在も天神様を祀る多くの神社が残っています。
これらの天神様の社紋には、丸に梅の花を表現した梅花紋やそれを幾何学的に図案した梅鉢紋が使われていることが多いです。
菅原道真自身が梅の紋章を使用したという記録は残されてはいないものの、道真公が梅を愛していたことは多くの人に知られていました。そんな道真公の梅への思いを尊重して、多くの梅紋が用いられているのではないかと考えられています。
現代にも残る梅紋を見ても、菅原道真と言えば梅の花と結びついていることが見て取れますね。皆さんも天神様をお参りする際には是非梅の花も楽しんでいってください。