梅酒の歴史~かつては梅酒作りは違法だった!?~

梅は古くから観賞用として日本人に親しまれており、多くの日本人に馴染みのある花です。花だけでなく、梅の実は古くから梅干しとして重宝され、薬用として使われてきました。また、梅干しだけでなく、梅の実を漬け込んで作られる梅酒も気軽に飲めるお酒として老若男女に愛されています。


ところで、梅酒はいつ頃から作られるように、一般的になっていったのでしょうか。今回は梅酒が誕生して、多くの人に飲まれるようになった歴史をまとめてみたいと思います。
 
日本では古くから梅干しが漢方として広まっていました。日本最古の医学書である「医心方」には梅干しの効能が書かれています。このように梅干しは比較的古くから親しまれていたようですが、梅酒についてはあまり記録が残っていません。はっきりと梅酒が作られていたことが分かるのは江戸時代になってからです。
1697年に書かれた「本朝食鑑」は日本の食物全般について詳しく記載された書物でした。その中に梅酒について書かれており、少なくともこの頃から梅酒は飲まれていたことがわかります。ただ、当時は砂糖が貴重品であったため、庶民のお酒ではなかったと考えられています。
その後江戸時代後期にかけて次第に各農家で梅の栽培が広まっていきます。梅はそのまま食べるのではなく、加工して保存する保存食として食べられるようになります。その中で梅酒も保存用の飲料として次第に普及していくようになりました。
江戸時代末期に書かれた「広益国産考」では農家向けに、梅を据えて農家の利益を上げることについての記載があります。自家用だけでなく副業として梅の栽培や加工を勧めていたことが読み取れます。
その後、時代が経る中で梅酒づくりも盛んになっていきます。
その一方で1962年以前は家庭で梅酒を造ることは酒税法違反となっていました。しかしながら現実として家庭では梅酒作りが行われているため、法律が実態と合っていない状況が続きました。そこで1962年に酒税法が改正され、家庭での梅酒づくりが認められるようになり、梅酒が身近なお酒として人気になっていきます。
また、ちょうど同じ頃の1959年にチョーヤが梅酒の製造販売を開始したことも梅酒が一般に広まる大きな要因となりました。
このように家庭での梅酒づくりが広がるとともに、酒造メーカーが梅酒販売を進めていくことで現代のように梅酒が広く親しまれるようになっていったのです。
 
今でこそ人気となった梅酒ですが歴史を紐解くと紆余曲折あったことが見てとれますね。皆さんも、梅酒を飲むときはその歴史も感じながら飲んでみると良いかもしれません。