松竹梅はなぜおめでたい?松竹梅が縁起物である理由と由来!

日本では古来より「松竹梅」と言われるように、松や竹といっしょに梅がおめでたいものとされています。ところで、なぜ松竹梅はおめでたいものとされるのでしょうか。今回は松竹梅の由来について探ってみます。

そもそも松竹梅は「歳寒三友」と呼ばれる中国の絵画の題名からとられています。これは寒い季節に友とすべき3つのものという意味ですが、この3つが松・竹・梅でした。これら3つは清廉潔白なもので、文人の理想を指すものだったと言われています。

中国ではおめでたいものという意味はなかったのですが、これが日本では次第に縁起物として扱われるようになりました。その時期は松・竹・梅でそれぞれ異なります。

最初に縁起物と世間一般に認知されたのが松です。

冬の寒い中で松だけが青々とした葉を彩っていることから、松が「不老長寿」の象徴として考えられるようになりました。これが平安時代のことです。

竹がおめでたいものとされてきたのは室町時代に入ってからでした。室町時代には茶道や華道が始まり、庭園などにある竹が評価されるようになりました。

竹はまっすぐ伸びることや根を地面にしっかりと張る様子から「子孫繁栄」の象徴になっていきました。こうして竹も松に並ぶおめでたいものとみなされていきます。

最後の梅は江戸時代に縁起の良いものと考えられていきます。梅は古くから、その果実は漢方薬として、花は観賞用として貴族の間では有名でしたが、江戸時代に厳しい環境でも育てやすい梅の植栽を奨励するようになりました。その結果、梅の実を使った梅干しが庶民の間に広まり、体に良い食べ物である梅は「健康」や「長寿」の象徴になりました。

このようにして松・竹・梅の3つが縁起物になりましたが、本来松竹梅に順序はありません。ただ、江戸時代に、お寿司屋さんが、特上・上・並といったお寿司のランクに、植物の名前を使うようになります。特上には松、上には竹、並には梅という名前にして販売を始めました。その結果、松竹梅には縁起のよさのランクだと思い込む人が増えたとされています。

また、松竹梅という順番が読みやすく、発音しやすいこと、松が平安時代、竹が室町時代、梅が江戸時代と時代順に縁起物とみなされてきたこともあり、次第に松竹梅は縁起物としてみなされてきました。これが今日まで続いている松竹梅の由来です。

これからの時期、寒い中でも松や竹は凛とした姿を保ちます。また、梅はこれから春の訪れを告げる花として1月以降全国で咲き始めます。松竹梅を観賞する機会も増えるので、皆さんも歴史やその象徴も認識しながら松竹梅を楽しんでいきましょう。