新古今和歌集に見る梅の和歌3選

現代では花見と言えば桜が有名ですが、かつては花見と言えば「梅」を指していました。そもそもお花見は貴族が梅を観賞して楽しんでいたことが始まりとされています。このように、かつては梅の花と人々の生活が密接に結びついていました。昔の日本人は梅の華やかさや香り、梅の風景などを和歌で残すことが多いです。鎌倉時代に作られた新古今和歌集にも梅の歌がいくつも掲載されています。今回は新古今和歌集にある梅の和歌を紹介します。


 
①大空は 梅のにほひに 霞みつつ 曇りもはてぬ 春の夜の月
藤原定家
意味:大空は梅の香りで霞んで見えているので、春の夜の月も曇りきっておらず、おぼろ月になっているよ
 
藤原定家は平安時代末期から鎌倉時代にかけての歌人で、新古今和歌集の撰者の一人でもあります。この和歌はそれ以前に作られた春のおぼろ月の風情の素晴らしさを詠んだ和歌を元に作られています。定家はそのおぼろ月の要因を梅の花の香りだと考え、さわやかな梅の香りだからこそ、素晴らしいおぼろ月を作り出すのだと考えたのでしょう。見た目だけでなく、梅の香りに主眼を置いているのが大きな特徴ですね。
 
 
②心あらば とはましものを 梅が香に たが里よりか にほひ来つらん
源俊頼
意味:もしも心があるならば梅の香りに聞いてみたいものです。あなたはどの里から香りを漂わしてきたのでしょうかと。
源俊頼は平安時代後期の歌人で、その歌風は当時としては斬新なものが多かったとされています。この和歌ではどこからか漂ってきた梅の香りを人に例えて尋ねてみることにしています。素晴らしい香りのする梅を感じながら別の誰かを思い出していたのでしょう。その人への思いを馳せている様子が見てとれます。梅の香りが素晴らしいからこそ、その人への思いも強くするのでしょう。
 
③来ぬ人に よそへて見つる 梅の花 散りなむ後(のち)の なぐさめぞなき  
藤原定頼
意味:来ない人(あなた)に梅の花をなぞらえて見ております。その梅の花が散ってしまった後は慰めになるものなどありません。
こちらは平安時代中期の歌人・藤原定頼が詠んだ和歌です。先ほどの和歌もそうですが、梅の香りを自分の愛する女性に例えて詠んでいる和歌となっています。梅の爽やかで豊かな香りは美しい女性を連想させるものだったのでしょう。この時代は和歌が恋愛の始まりということも多く、そこに梅の花や香りを例えて登場されることも多かったのですね。
 
新古今和歌集にも多くの梅の歌が詠まれています。梅の素晴らしさを詠むだけでなく、愛する人になぞらえるものもあります。昔の日本人は梅の花を重要視していたという状況を知ることができますね。